最近思うことがあるので少し書く。
最下層のセーフティーネットについて。
ここでいう最下層というのは、主に貧困家庭に生まれた人間を指すことにする。
最下層の上には中層、富裕層がある。アッパーミドルクラス
人は親の持つ財力・権力等の判断基準に基づいて、最下層・中層・富裕のどれかの子として誕生するわけです。
義務教育課程までは全層の人間が触れ合う環境(学校)があって、
建前的には勉強をしながら、自分と近しい人間同士で固まり、コミュニティを形成する。
趣味や思考回路、遊びにつかう小遣いの金額などによって、結局冒頭の3層に分かれていく気がする。
例えば、長期休暇に家族で海外に旅行に行くグループの人間と半額シールの貼ってある弁当を食べて暮らす人間は綺麗に分かれる。
これはどういうことかというと、
境遇が似た者同士で固まることによって、”他所の家”としてサンプリングする情報を間引いているのでは?と思った。生きやすいように。
ぼくは完全に最下層の半額弁当で育ったタイプで、「家族で海外に旅行に行った話」をクラスメイトから聴くたびに毎回死にたくなっていた。
「家族で海外に旅行に行った話」をする人間よりも「いかに金のかからない遊びを考案するか」とか「いかに金をケチるか」みたいな話をする人間と会話をしていたい。
自分より階級が高い人間の話を聞くと死にたくなるので。
おそらく、普通の地元の小学校に通っていれば「最下層」のグループに所属して中学に上がり不良になってグレたり強盗とかで少年院につっこまれたりするのだろうが(完全な想像なのでそんなことはないのかもしれない)
ぼくは意識高いフリをした親の教育方針により、中層・上層の子供が通うような私立の小学校に通わされていた為、最下層のグループを達磨落としで消したような場所に一人で貧乏人として過ごしていた。
これがもうかなり普通にしんどかったし、
今考えるとそのせいで最下層のセーフティーネットに入り損ねたのではないか?と感じている。
・最下層のセーフティーネット
これもまた完全な想像なのだけど、
明らかに最下層として虐げられてる子供は小学校の内に教育関係者が何らかの手を差し伸べてくれるものなのではないか?
痣があったら虐待を疑ってみたりだとか、家庭訪問?とかである程度検挙して正しい道に進ませるのではないかと勝手に思っている。
これが最下層のセーフティーネットである。
前述した通りぼくは明らかに最下層の存在しない小学校に通っていた為、
「ユーモラスな家庭の子」程度のニュアンスで学校側に認識されており
自分も特に「自分の家庭に問題がある」なんてまったく思わずに育ってしまう。
遠方から通うのが大体だったから、家庭訪問とかなかったしな。
※この頃から既に家がゴミ屋敷だった。
・最下層のセーフティーネット(友人関係)
友人関係もセーフティーネットの一つなんじゃないかと思っている。
「金なさすぎて進学できないわ」
「俺も」
みたいな会話が最下層コミュニティで行われているかは不明なのだけど
そんな会話が行われていたら救いだと思う。
あ、自分だけがやべーんじゃないんだな みたいに思えて孤立感が薄まるし、ある程度「人生皆そんなもんっしょ」と割り切れるような気がする。
で、ぼくはまたこのセーフティネットも掴み損ねたわけです。
高校・大学あたりでようやく比較的似た家庭環境の友人が出来たものの、
中・上層の中で15年も生きると、完全にそっちのイメージで人生観が出来てしまっているんですよね。
長期休暇はハワイ、クリスマスはパーティ開く、歯は矯正、有名大学に進学して留学、好きなことは何でも出来る
みたいなのが一般的だと脳みそに刷り込まれてしまっていて
かなり生き辛いし、常に孤立感が付きまとっているのもそのせいだと思う。
ぼくは、紆余曲折あって前回の記事に書いたような部類の副業を始めたのだけど(今に始まったことではない)そういう店に行くと凄く落ち着くんですよね。
「あ、居ていいんだな」って思える。
これは何故か?というと、
そこが最下層のコミュニティだから でおおむね間違いないと思う。
自分と同じような境遇の人間が集まっていて、安心するのだと思う。
でも、仕事を終えて雑居ビルから出て人通りの多い道に入った瞬間、また「一人だな」って思う。
どうしたもんかね。